人工透析が必要な方も、安心して入所できる老健「遊」

人工透析が必要な方も、安心して入所できる老健「遊」

新保
「遊」での透析患者さんのケアについて教えてください。
齋藤
わかりました!よろしくお願いします。

至仁会が運営する「介護老人保健施設 遊(ゆう)」。そこには、圏央所沢病院の透析センターに週3回通う方も入所しています。同施設の看護師長である齋藤さんに、透析患者さんのケアを中心にお話を伺いました。

透析患者のリスクに対応可能

新保:現在「遊」に透析患者さまは入所していますか?

齋藤:はい。ご存じのように老健は定住型の施設ではないので、その時々で透析患者さまの人数は変わるのですが、開設当初から、同法人が運営している圏央所沢病院の透析センターに通っている方が入所しています。

新保:透析患者さまを受け入れる老健は、全国的にみても少ないそうですね。

齋藤:透析患者さまは、心不全や感染症など多様な合併症のリスクが高く、発症した場合は治療が必要となり、病院に入院することになります。老健は、在宅復帰を目指してリハビリをメインに行う場所なので、当施設に入所されている透析患者さまは、状態が安定している方です。

新保:「遊」の場合は透析センターの送迎バスが利用でき、透析患者さまの体調が急変した時に救急病院である圏央所沢病院で対応できるので、受け入れが可能ということですね。

齋藤:その通りです!

「遊」での透析患者のケアについて

新保:「遊」の入所施設には、何人くらいの看護師さんがいるのですか?

齋藤:現在は10名ほどの看護師がいて、24時間体制で約80人の入所者さまの体調を管理しています。

新保:透析患者さまへの対応も含めて、1日の流れを簡単に教えていただけますか?

齋藤:月曜日から土曜日は、午前は7時ごろ、午後は12時ごろに透析センターの送迎車が来ますので、対象の方を送り出します。その際、体調を確認して、痛み止めのテープを貼るなどの処置を行います。もし熱があったり、血圧の変動があったりしても、透析を“休む”という選択肢はないので、その方の状態をすぐに透析センターへ連絡します。

新保:透析患者さまは、透析をしないと命に関わるので大変ですよね。

齋藤:そうですね。そのほかの入所者さまに対しては、経管栄養、喀痰(かくたん)吸引、褥瘡(じょくそう)、ストマ(人工肛門)、バルーンカテーテル(膀胱留置カテーテル)などの医療的ケアを、それぞれ必要な方に行います。平日は常勤医師による回診もありますので、そのサポートも重要な業務です。透析患者さまの場合は、上記のケア以外にシャント管理や足の観察、長期留置カテーテルを使用されている方の入浴前に必要な処置もします。また、透析中に血圧が下がってしまった方がいれば、透析センターの方から連絡があるので、その方の経過観察なども行っていますよ。

病院・老人ホームとの連携が強み 

新保:ここまでのお話から、「遊」と透析センターが連携していることがよくわかりました。

齋藤:はい。私は以前、圏央所沢病院のICUやSCUにいた時期があり、その際、透析患者さまのケアもしました。また、透析患者さまの看護経験があるのは私だけではありません。当施設の看護師全員で透析患者さまに関する知識を共有しているので、「遊」の入所施設では透析患者さまを受け入れられるのです。ただし、医師や看護師が透析患者さまに対して「病院で行うべきこと」「老健で行うべきこと」は異なります。透析患者さまが、老健から病院へ移る場合は、患者さまのご家族や、病院側の地域連携室などに相談して、手続きを進めていきます。

新保:一方、ご自宅に戻るのは難しいものの、容体が安定している透析患者さまは、在宅型の「有料老人ホーム 憩(いこい)」へ移ることがあると聞いています。

齋藤:はい。「憩」も同法人の施設なので、透析センターとの連携が密です。さらに、「憩」の入居者さまが、リハビリを強化したいということで一時的に「遊」に入所したり、週に数回「遊」のデイサービスを利用したり、というケースもあります。

新保:「憩」は個別サービス的な要素が強いと思いますが、「遊」はグループで取り組むリハビリなどもあるので、双方を利用することで気分転換ができそうですね。

齋藤:今回、このような形でお話しすることで、圏央所沢病院や有料老人ホーム「憩」との連携が「遊」の入所施設の特長になっているのだと、改めて実感できました。

RECRUIT

  • やりたいことがそこにある。
    なりたい自分がそこにいる。

  • 5年後の自分を、10年後の自分を想像できるか?
    今やるべきことを、しっかりと、一歩づつ。

  • 稼ぐためにではなく、
    学ぶために働く。

  • 欠点に目を背けるか、
    弱点を「強み」に変えるのか。

  • 失敗しない道を選ぶのか、
    失敗から何かを学べるか。