目の前の仕事だけではなく、理学療法士の将来も考える
社会医療法人至仁会が運営する、要介護認定を受けている方が対象のリハビリ型デイサービス施設「フィットリハ 陽」。現在、所沢市・入間市・狭山市に5か所あり、要支援の方が利用できる「豊岡」と「PLUS(プラス)」、要支援・要介護の方が利用できる「狭山ヶ丘」「富士見」「中富」を至仁会通信でも紹介しました。
今回は、2022年4月から5か所の「陽」をまとめる責任者・小林 さんのご紹介です。
「陽」で大切なのは、まず信頼関係
―「陽」全体の責任者になって、状況はいかがですか?
2013年に1か所目の「陽」が開設され、もうすぐ10年。私は最初に「中富」、次に「狭山ヶ丘」、現在は「PLUS」へ異動し、3か所目になります。まだ「PLUS」にきて4か月弱なので、ここでの信頼関係作りを優先しているのが正直なところです。
「陽」の基本的な業務は、5か所の責任者が情報を共有しながらやっているので、これまでとあまり変わりないです。新しい場所では「利用者さまやスタッフに受け入れてもらえるかな…」という不安があるのですが、「PLUS」でも皆さんに温かく迎えてもらえて、一安心しています。
すべての「陽」が少人数で運営しており、「PLUS」は現在、常勤とパートの8人前後でシフトを組んでいます。小さな組織では人間関係がより重要ですよね。利用者さまだけでなく、スタッフとの良好な関係を築いた上で、リハビリ内容や経営面をより充実させていきたいと思っています。
理学療法士の職域を広げたい
ー次に小林さん自身について教えてください。
1988年1月生まれの水瓶座です。新潟県で生まれたのですが、3歳の時に埼玉県上尾市へ引越し、小学校4年から高校までは大宮市(現・さいたま市)で過ごしました。小・中・高で野球をやっていて、それ以外の趣味はないのかも(笑)。
ー理学療法士を目指したきっかけは?
最初に興味を持ったのは動物看護の仕事でした。獣医師の助手として、動物の診療補助や世話をする仕事ですね。しかし「それで生活していけるのかな」という不安もあり悩んでいた時に、友人が理学療法士を目指していて、自分も興味を持ちました。
通っていた高校で推薦をいただき、毛呂山にある城西医療技術専門学校(現・日本医療科学大学)に入学しました。自分の代で3年制の専門学校が終了し、4年制の大学に変わるタイミングだったので「留年したら大変!」というプレッシャーの中で勉強しました。
ーすぐに医療系の仕事に就いたのですか?
はい。大宮にある療養型の病院に就職しました。そこでは容体の変化が少ない高齢の患者さまが多く、院内でのリハビリのほか、老人保健施設や通所リハビリの仕事もしました。初めての仕事で「人の最後」に触れる機会が少なくなかったので、自分の人生も含めていろいろ考えるようになりました。
3年が経過し、ほかの職場も経験したいと思い、2012年に圏央所沢病院の理学療法士の募集に応募して採用されました。まず院内の急性期病棟、次に回復期病棟、脳神経外科チーム、訪問リハビリでの仕事を経て、「陽」の仕事に就いています。
ー休日に息抜きはできていますか?
自宅に帰ると妻と2人の子どもがいて、穏やかに過ごすことができます。たまに自治会のソフトボール・チームで体を動かし、それを見て「楽しそうだな」と思った小学生の長男が野球を始め、その野球チームのコーチもやっていますよ。幼稚園児の次男も野球に関心がありそうです。
家族を養うためにも仕事を頑張ろうと思うのですが、「陽」で責任者になってからは、ほかのスタッフの生活や、法人全体の存在価値なども意識するようになりました。さらに、理学療法士の職域を広げていきたいという想いも強くなり、埼玉理学療法士会の会員として職能局・業務推進部でも活動しています。
より将来性のある仕事にする
ー理学療法士の職域を広げる必要性は?
現在、全国に約20万人の理学療法士(※)がいて、今後も増加傾向にあり、このままでは仕事不足という状態になります。それを解決するために「医療や福祉関係、健康産業のリハビリ職」という仕事の枠を、さらに広げていかなければならないと考えています。※理学療法士の国家試験合格者の累計
「陽」の責任者は全員が理学療法士であり、運営や経理、集客まで任されています。全国的に見ても、法人経営のリハビリ施設で、そこまで理学療法士に任せる所は少ないのではないでしょうか。そういった観点からも、至仁会の若い理学療法士には積極的にチャレンジしてほしい仕事です。
ーなるほど。今後のご活躍も期待しております!
2022年8月、フィットリハ陽PLUSにて。