適正な医療を確実に行い、信頼される病院に

病院, 至仁会通信


2009年から数年間は圏央所沢病院の医長として、2018年からは脳神経外科センター長として活躍している石原 秀章(いしはら・ひであき)先生にお話を伺いました。インタビューを読んでいただくと、先生の人柄が感じられると思います。




石原先生





多彩な経験を持つ脳神経外科医







―まず、石原先生はなぜ医師になろうと思ったのでしょうか?






私は群馬県伊勢崎市で伸び伸びと育ちました。開業医である親戚の叔父が祖母を往診する姿をみて、あこがれていたのが医師になるきっかけです。そして高校時代の不規則な生活により一浪したので、規律が厳しい防衛医科大学を目指して入学・卒業しました。

医学生の時からカテーテル治療に興味があったので「循環器内科」か「脳外科」か迷いましたが、脳外科の雰囲気が合っていると感じたのでそちらに入局。そこで、現在至仁会副理事長の加藤先生に開頭手術を指導していただきました。








ーそうなんですね。その後はどのような経験をされてきたのでしょうか?






専門研修を終えてから、当時、埼玉医大国際医療センター・脳血管内治療科教授だった石原正一郎先生に師事し、同大学内で脳血管内治療を起ち上げるために自衛隊を退職しました。石原先生は同じ苗字なのですが、親戚ではありません(笑)。
そして、2009年に圏央所沢病院で血管内治療を起ち上げるということで、2年ほど常勤医師として派遣されました。優秀なスタッフにも恵まれたおかげで、順調に症例数や成績を伸ばすことができたのです。






ー圏央所沢病院に初めて関わられたのがその時ということですね。その後、留学されたと伺いました。






はい。2011年に米国のカリフォルニア大学ロサンゼルス校に1年ほど留学しました。そこでは「フローダイバーターステント治療」というものが始まった時期で、ほかにも日本では珍しい治療や手技を数多く見学できました。
帰国してからは、外勤医として圏央所沢病院に週1回半日勤務していた時期もあり、群馬県の黒沢病院・脳卒中センターの開設に派遣され脳血管内治療科の部長を務めていた時期もありました。黒沢病院は実家から近いので、そこが永久就職先になるのかなと思っておりましたが、2018年より再び圏央所沢病院に縁があり、現在に至ります。





アクティブな旅行でリフレッシュ






ーなるほど。次に先生個人のことや趣味などを教えてください。






私は1974年1月8日生まれ(寅年・やぎ座)です。学生の頃は卓球部や野球部に所属していましたね。旅行先でも泳いだり山に登ったり体を動かすのが好きです。医師になってからも、たまにスキーなどに出かけます。

留学でロサンゼルスにいた時にはグランド・キャニオン国立公園なども訪れ、カリフォルニアの美味しいワインなども楽しみました。脳神経外科医は仕事柄、時間を拘束されることが多いのですが、できるだけリフレッシュするようにしていますよ。

ご家族との一枚






ー心身ともに健康であることは大切ですよね。現在の職場はいかがですか?





一番良いと感じているのは「患者最優先」の理念で、目先の利益にとらわれず最善の治療ができることです。すべての病院に経済的な事情があるのは承知していますが、無駄だとわかっている治療はすべきではありません。

また明るく勉強熱心なスタッフが多いと思います。患者さんが少ないときは勉強しており、患者さんが多い時は生き生きと働き、プラス思考の方が多いですね。さらに院内では回復期リハビリが盛んなので、患者さんと良い関係が築かれているように感じます。








すべては患者さんのための医療







―それは良いお話ですね。最後に、今後の目標などはありますか?






そうですね。脳卒中の発症から4時間半を超えている、またはアルテプラーゼ点滴療法などが適用できない患者さんに対して、24時間以内に行える血栓回収療法のセンターを立ち上げようとしています。それによって救える命が増えるからです。

またコロナ禍で中止されている勉強会を、主治医からのプレゼンテーションを中心に行う形や資料配布型にして、スタッフの教育やコミュニケーション不足、病棟内の問題点を解決していきたいと思っています。

利益相反や名声、研究のために不必要な医療が過剰になりやすい時代ですが、この病院を信頼してくれる患者さんのために、適正な医療を確実に行い愛される病院を目指していきます。







―本日はいろいろお話いただき、ありがとうございました!





2021年4月、圏央所沢病院にて。