患者ファーストの病院で、地域医療にも貢献したい
圏央所沢病院 脳卒中センター 副センター長の熊谷光祐(くまがい・こうすけ)先生にお話を伺いました。ハツラツとした印象の先生です。どのような先生なのでしょうか?
脳神経外科医としての成長を求めて
―圏央所沢病院に来られたきっかけは?
当院は脳卒中センターを有する社会医療法人であり、大学校の大先輩の加藤副理事長や、石原脳卒中センター長が活躍されていることを知っておりました。さらに、直達手術も脳血管内治療も行える最先端の病院で仕事をしたいと思っていたのがきっかけです。
ー同院の印象はいかがですか?
脳卒中患者さんが想像以上に多いことに驚きました。また、コ・メディカル(医師以外の医療従事者)の力量に感心しています。たとえば、リハビリスタッフが医師の指示待ちではなく、率先してリハビリを行ってくれます。看護師なども同様で、とても前向きで明るい人材が多い病院です。
現在、私は地域医療連携室の顧問も兼任しています。私の就任前から、地域内の他病院や他施設との連携が積極的に行われており、脳卒中の疑いがある場合、早く適切な治療を開始することが大事なので、近隣の病院やクリニック、救急隊の皆さまのご協力にも大変感謝しています。
学生時代は柔道やレスリングにも励む
ーなるほど。次に先生ご自身について教えてください。
私は1980年7月生まれ(申年・蟹座)、福岡県福岡市の出身です。兄が通っていたということもあり、中学・高校は長崎県の青雲学園に入学して、非常に規則の厳しい寮生活を送りました。テレビや漫画、外出など全てに制限がありました。そのお陰か、校則が厳しいと言われる防衛医科大学校での生活は自由を感じました(笑)。
その大学校では、柔道とレスリングにも励みました。医学部でレスリング部があるのは防衛医科大学校だけでしたので、日本体育大学や早稲田大学などの学生と試合ができたのは良い思い出ですね。
ー医師を目指したきっかけは?
身近に医師はいませんでしたので、漠然と「カッコいい職業だなあ」と思っていました。山本周五郎著『赤ひげ診療譚』の赤ひげ先生に憧れたことも理由かもしれません。また、医学部に入ってからは救急医になりたいと思っていたので、脳神経外科は正直考えていませんでしたが、研修医の時に脳神経外科の手術を見て一目惚れしました(笑)。
PKOでイスラエル・シリアの境界へ
ー自衛隊の任地で印象に残る場所はありましたか?
研修医を終え、初の任地が航空自衛隊見島分屯基地(山口県萩市)でした。見島は、日本海側萩市の沖合約44キロに位置する周囲18キロほどの島です。自衛隊員の健康を管理する衛生小隊長という立場でした。自然豊かな島で、隊員も島民の関係も良かったので楽しい時間を過ごせました。
大阪府や福岡県などの病院での研修や、見島以外の基地での勤務も良い思い出です。なかでも、国連維持活動(PKO)に参加したことは大きな出来事。2010〜11年の約半年間、イスラエルとシリアの境界に位置するゴラン高原に派遣されました。当時、自衛隊は補給や輸送を担当し、私の任務は自衛隊員の健康管理でした。初めての海外勤務で不安もありましたが、非常に有意義な経験になりました。
その経験で視野が広がり、子どもたちにも海外を経験してほしいと思い、博士課程の1年間は家族を連れて米国オレゴン州ポートランドに留学しました。留学先の大学病院では、大学校時代の友人が働いていたこともあり、脳血管内治療と直達手術の勉強ができました。
ーなるほど。先生の趣味は何でしょうか?
体を動かすことが好きなので、週に1回程度ジョギングをしています。また妻や子どもたちと過ごす時間が楽しいです。子ども4人の世話プラス私の世話で、妻は大変だと思いますが(笑)。
脳卒中を未然に防ぐために尽力
―そうなんですね。それでは最後に一言お願いします。
はい。圏央所沢病院・脳卒中センターでは、2020年の1年間で、脳卒中の患者さんが921人入院し、脳血管内治療105件、直達手術185件、rtーPA(アルテプラーゼ)治療73件を実施しています。また、脳卒中を未然に防ぐための治療も積極的に行っています。私はまだ中堅の脳神経外科医ですが、「勤倹力行」で仕事に取り組み、患者さんや地域の方々の期待に応えられるよう精進していきたいと思います。
―本日はいろいろお話いただき、ありがとうございました。
2022年1月、圏央所沢病院にて。