安心できる病院であり続けるために尽力

病院, 至仁会通信

圏央所沢病院の神谷剛司(かみや・たかし)副院長にお話を伺いました。落ち着いていて、穏やかなの印象の先生です。はたして、どのような先生なのでしょうか?







今回お話を伺った神谷先生

外科も内科も経験豊富







―まず先生のご専門を教えていただけますか?







元々は消化器系の外科医だったのですが、その後は総合診療内科、現在は内科におります。圏央所沢病院には外科の手術を専門とする常勤医師がいないので、非常勤の医師と一緒に、鼠径ヘルニアや虫垂炎(いわゆる盲腸)の手術、胆のう摘出手術、腹腔鏡手術などの中小手術も担当しています。







ーどのようなきっかけで圏央所沢病院に来られたのでしょうか?







至仁会通信13号で紹介されていた加藤副理事長は、防衛医科大学校の同級生です。私が別の病院へ移ろうと考えていた時期に、圏央所沢病院の院長を勤めていた加藤先生に声をかけてもらったので、2011年にこちらへ来ました。

防衛医大の同級生の皆さん(下段左から2番目が神谷先生・下段真ん中が梅田先生・下段右が加藤先生)








ー圏央所沢病院で、すでに10年過ごされたということですね。







はい。こちらは懐の深い病院なので、安心して医者の仕事に取り組めます。また民間病院は、何か軸を決めてやっていかないと経営が難しいと思うのですが、圏央所沢病院には脳神経外科と整形外科という大黒柱があるので、現在の私には後方支援的な役割りも求められていると思います。







学生時代は体育会系!







ーなるほど。次に出身地や学生時代のことなどを教えてください。







私は1960年6月6日生まれ(子年、ふたご座)、大阪府大阪市出身です。地元の小・中・高に通っていました。小学生のときは、母親が私のダイエット目的で通わせた水泳に励んでいた時期が長かったですね。

中学・高校では「身長が伸びたらいいな」ということでバレーボールをやっていました(笑)。中学校のバレーボール部は、私たちが入学したときに同好会的に始めたのですが、メンバーにも恵まれて、3年生のときには大阪市で優勝できるレベルにまでなりましたよ。

高校でもバレーボールに熱中していたのですが、2年生のときに兄が交通事故に遭い、一時期生死の境をさまよう状態になりました。兄はしばらく入院していたので、よくお見舞いに行っていたんですね。ちょうどその時期に「白い巨塔」がテレビドラマ化されて、それもあってか「医者になろう」と思ったのです。







ーリアルな医師とドラマの医師、ダブルで影響を受けたということですね。








そうですね。そのドラマの舞台でもあった大阪大学の医学部を目指しました(笑)。一浪して勉強した結果、防衛医科大学校に合格したので、大阪から所沢へやってきました。私が在籍していたときも校則は厳しくて、学外で過ごす時間は少なく、学内でラグビー三昧でした。

ラグビー部所属時代 一番高身長が神谷先生!!


心臓・呼吸器・消化器、3つの外科の研修期間を終えて、初めて赴任した病院は青森県むつ市にある自衛隊大湊病院でした。その後は再び大学病院、次に神奈川県の自衛隊横須賀病院の勤務を経て自衛官を退職。さらに所沢市や入間市の病院で勤務医や院長を勤めていた時期もあります。







ーそうですか。休日はどのように過ごされますか?







青森では妻や子どもたちも一緒だったので、官舎の裏にある小さなスキー場へ行ったり、青森の温泉や北海道などへドライブに行ったりしましたね。2人いる子どものうち、長女はすでに結婚しており、先日孫が生まれました。

現在は、20年ほど生活していた清瀬市のマンションを離れ、所沢市内に建てた一軒家で生活しています。家にいるのが快適で、あまり外出せず映画鑑賞や晩酌を楽しんでいますよ。最近見たものでは「エンド・オブ・ホワイトハウス」や「エンド・オブ・キングダム」「エンド・オブ・ステイツ」など、イギリス人俳優のジェラルド・バトラーの映画が面白かったかな。







変化なくして安定は求められない







―それでは最後に、今後について一言お願いします。







患者さんはもちろんのこと、私たち働く側にとっても居心地が良い病院であり続けるために尽力したいと思っています。若い人たちが長く働き続けられる病院にするには、同じことをしているだけでは不十分で、医師以外の医療スタッフのモチベーションを上げるための活動も、積極的に取り組んでいきます。




―本日はいろいろお話いただき、ありがとうございました!




2021年6月、圏央所沢病院にて。