やりがいを感じられる職場でより良い医療を~ 圏央所沢病院 副理事長 加藤先生インタビュー ~
圏央所沢病院の前身にあたる吉川病院のときから、脳神経外科医として活躍している加藤 裕(かとう・ひろし)先生にお話を伺いました。埼玉県急性期脳梗塞ネットワーク(SSN)の基幹病院として機能している圏央所沢病院 脳卒中センターで、現在はどんなことに取り組まれているのでしょうか。
脳神経外科の最先端を歩み続ける
―加藤先生はこの10年余り、圏央所沢病院の院長や脳卒中センター長を歴任され、現在は副理事長ですね。まず先生の職場でもある「脳卒中センター」について教えていただけますか?
はい。当院は脳卒中を中心とした急性期の患者さんを受け入れるために「脳卒中センター」を設立しました。同センターでは24時間365日、脳神経外科医とスタッフが駐在しています。
脳卒中は、脳の血管が詰まったり破れたりすることで、脳が障害を受ける病気です。脳卒中を発症してしまうと身体機能や言語機能が失われ、死に至ることもあります。一刻も早く治療や手術をすべき病気なので、いつでも対応できることが重要なのです。
―なるほど。では、先生はなぜ脳神経外科の専門医になられたのでしょうか?
そうですね。子どもの頃から手先が器用だったので、手術の必要性が高い脳神経外科に興味を持ち、その専門医になったのだと思います。また脳神経外科は、医療技術や機器の進歩が早く、10年ほど前だったら命を救えなかった患者さんを今は救える点など、やりがいが大きいです。
仕事にとどまらない好奇心
―次に先生個人のことを教えてください。出身地や学生時代のお話なども伺えますか?
私は愛媛県松山市出身です。地元の愛光高等学校を卒業後、所沢市にある防衛医科大学に入学して卒業しました。国家試験を経て医師になったのですが、同大学内での研修のほか、千葉など各地の自衛隊に勤務して現場の医療も経験し、教鞭をとった時期もありましたね。
学生の頃はハンドボール部に所属していましたし、よくスキーにも行っていたので、体を動かすことも好きです。そして妻は同級生の妹。医師になってからは自由な時間が少なくて、旅行などあまりできなかったので家族には申し訳ないと思っています。
―相変わらずお忙しいと思いますが、最近の趣味などはありますか?
車も好きなので、休日はよく近場へドライブします。そういえば、ドライブで飯能へ出かけたとき、激しい腹痛が起こって救急車を呼んだことがあります!たまたま顔見知りの救急隊員が来てくれて、「先生大丈夫ですか?」と圏央所沢病院に運ばれました。腹痛の原因は尿管結石だったのですが、救急車で自分の勤め先に行くというのは初めてだったので、ある意味よい経験になりましたよ(笑)救急診療のありがたみを実感しました。
若干趣味の話にもつながるのですが、私はRPG(ロールプレイングゲーム)やPCにも興味を持っているので、5~6年前に「ERネットワーク」というソフトを作ってみました。簡単に説明すると、救急診療に関するデータが入力後すぐにスマホに転送される機能がメインとなるソフトです。
その「ERネットワーク」を使うと、患者さんの個人情報を伏せて、救急隊員にも搬送後の情報を配信できるのです。それにより、対応した隊員が患者さんに行った応急処置などが適切だったかどうか知ることができるので、フィードバック・ツールとしても役に立っています。
スタッフの育成や病院の存続が大切
―手先が器用というお話もありましたが、オリジナル・ソフトまで作ってしまうとはすごいですね。それでは、現在はどのようなことに取り組まれるのでしょうか?
コロナ禍で、これまで普通だったことができなくなりました。そのひとつに勉強会があり、それを現在は「ケントコTV」という新しい形で行っています。「ケントコ」は圏央所沢病院の「圏・所」ですね。院内の私の部屋をスタジオ替わりにして、医師や看護師、検査技師などのスタッフに研究発表などをしてもらい、それを院内のみで放送しています。一カ所に大勢集まらず、セキュリティも確保できるので便利です。
「ケントコTV」の話は一例なのですが、私は当院、および至仁会を成長できる場所にしていきたいと考えています。仕事のやりがいや成長を感じられない職場は雰囲気が悪くなり、結果的に良い医療が提供できません。そして団結力を高めるためにも、また楽しく忘年会ができる状況になることを願っています。
―本日はいろいろお話いただき、ありがとうございました!
2021年2月、圏央所沢病院にて。