いつでも安心して手術ができる病院に

いつでも安心して手術ができる病院に

圏央所沢病院の副院長・梅田英一郎先生のご紹介です。先生は麻酔科の専門医として長年活躍されています。今回は先生のご経歴を中心にさまざまなお話を伺いました!

手術室の責任者

―梅田先生が圏央所沢病院に来られたのはいつごろでしょうか?

2012年の1月から当院で仕事をしていますので、もうすぐ10年になりますね。現在の私の役割を簡単に説明すると「手術室の責任者」です。当院は急患や重症な病気に対応する急性期病院なので、日々手術が行われ、麻酔が必要となります。

ご存じのように手術では体にメスを入れるので、痛みや大きなストレスが伴います。患者さんがその痛みを感じないようにする、またその前後を含めてさんの全身状態を維持・管理するのも私たち麻酔科医の役目です。


九州育ち、大学で所沢へ

―なるほど。今回は先生のご経歴なども伺えますか?

はい。私は1960年8月26日に熊本県で生まれました(子年・乙女座)。高校の教員だった父の仕事の都合で、造船業と基地の街として知られる長崎県佐世保市へ移り、そこで小・中・高校生の時期を過ごしました。海が近い土地でしたね。

のびのびと成長した感があります。高校に入ってから進路を考え、数学や理科が得意だったということもあり医者を目指すことにしました。そして医大受験の結果、防衛医科大学校に合格したので所沢にやってきました。

大学生活は、平日は朝から夕方近くまで授業、そして授業が終わると野球部の活動、土日は野球の試合という日々でした。20歳になってからは、土曜日の部活後に仲間と新所沢へ飲みに出かけるという楽しみもあり、健全な学生生活だったのではないでしょうか(笑)

私は学生のとき、医学全般を学びさまざまな病気を治療できる医師になりたいと考えていました。4年間基礎医学を中心に学び、5~6年生のときに大学病院の各診療科をまわり臨床実習を行い、患者さんの全身管理への関心が強くなりました。



さまざまな地での勤務経験

医学部卒業後は、まず2年間大学病院で研修医として勤めました。大学病院での研修後、最初の勤務地は京都府の自衛隊舞鶴病院でした。そこで2年過ごしましたが、冬の舞鶴は雪深い場所でしたね。その後大学病院へ戻り、さらに研修を積み麻酔科の専門医となりました。

専門医となって最初の勤務地は、東京都の世田谷にある自衛隊中央病院。そこで1年ほど勤めた後、アメリカのニューヨークで2年間留学する機会に恵まれました。マンハッタンの北にあるブロンクスという地区で生活しましたが、治安は比較的良かったので快適でしたよ。

アメリカでは主に麻酔学の研究を行いました。1年半は家族も一緒だったので、休みの期間にアメリカ西海岸やナイアガラの滝、カリブ海方面などへ遊びに行きました。小さな子どもと一緒だったこともあり、まだ日本になかったユニバーサルスタジオも楽しかったですね。

その後日本に戻ってきてから、自衛隊横須賀病院勤務、自衛隊基地の健康管理業務を経て、再び大学病院に戻り麻酔科で助手・講師・助教授を勤めて退官しました。2010年頃から福岡県の病院で仕事をしていたのですが、2011年3月に東日本大震災があり、当時は単身赴任中でした。

家族と一緒に生活をするために所沢へ戻ってこようと考えたとき、大学の同級生の加藤先生(現・至仁会副理事長)に相談した結果、圏央所沢病院で麻酔科医として勤めることになり、現在に至ります。


―そうなんですね。最近楽しまれていることはありますか?

そうですね、ゴルフとプロ野球観戦が趣味です。ゴルフはいわゆる「エンジョイゴルフ」。また私が幼少期の頃、九州ではテレビで見られるプロ野球が巨人戦だけだったので自動的に巨人ファンでしたが、大学に入学してからは西武ファンになりましたよ(笑)

それと時々、息抜きとして映画も観ていて、「007」や「ミッション:インポッシブル」シリーズのようなアクション系が好きですね。


―休息も大切ですよね。本日はいろいろお話いただきありがとうございました!


2021年10月、圏央所沢病院にて。

RECRUIT

  • やりたいことがそこにある。
    なりたい自分がそこにいる。

  • 5年後の自分を、10年後の自分を想像できるか?
    今やるべきことを、しっかりと、一歩づつ。

  • 稼ぐためにではなく、
    学ぶために働く。

  • 欠点に目を背けるか、
    弱点を「強み」に変えるのか。

  • 失敗しない道を選ぶのか、
    失敗から何かを学べるか。

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