Monthly Archives: May 2021

地域社会で信頼される、介護と日本語の教育を。

2020年10月、所沢市若狭で開校した「所沢日本語学校」は、社会医療法人至仁会が設立した「介護職員を目指す外国人のための日本語学校」です。どのような学校なのか、長年日本語教育や学校開設に携わっている椛山(かばやま)校長にお話を伺いました。

お話を伺った椛山校長先生

日本で介護職に就く外国人のための学校

―「所沢日本語学校」は、至仁会通信11号でご紹介した「V&J Human Resource School(ベトナムにある介護と日本語の学校)」の姉妹校的な学校だと伺っています。

はい。現在は本校で学生を募っているのではなく、「Ⅴ&J」で6~8カ月間、日本の介護と語学を勉強した学生の留学先として運営しています。11名が在籍して熱心に学んでいるのですが、新型コロナウイルスの影響で11名ほど来日できない状況にあります。

一般的な「日本語学校」は、日本の大学や専門学校などへの進学を目指す外国人が語学を中心に勉強するところなのですが、本校は日本で介護を担ってくれる人材を育て、社会貢献も目指しています。運営母体が、地域に根差した信頼性の厚い社会医療法人ならではの特色でしょう。

―そうでしたよね。ほかの特長もぜひ教えてください。

「所沢日本語学校」は法務省が認可した「告示校」の一校であり、厳しい審査を通過しています。年間760時間以上授業を行うという規定があるのですが、本校では900時間近くの授業を行い、日本の文化に触れるような教育プログラムを組みました。また、学生たちが異国で安心して生活できるよう全寮制や奨学金制度を活用できるようにして、地域密着型の学校を目指しています。

学校と地域社会で育てたい

―具体的に、地域社会とはどのような形で関わっていきますか?

まず介護職に就くという目的があるので、至仁会が運営する病院や介護老人保健施設を訪問して現場でも学んでいます。今後、近隣の保育園・幼稚園・小学校とのコラボレーションも実施したいのですが、残念ながらコロナ禍で実現できていません。

そのほか所沢市の教育委員会や社会福祉協議会、ボランティアセンター、学生寮や学校がある地域の町内会の方々にもご挨拶しており、学生たちが地域のみなさんと関わりが持てるよう積極的に活動していきます。

愛情をもって教育する

―なるほど。次に介護の人材を国外にも求める状況について教えていただけますか?

ご存じのように日本の高齢化率は現在3割近く、この先その率はさらに高くなります。一方、介護職に就きたいと考える若者は少なく、勤務後3年以内に離職する介護職員は約75%であり、彼らの待遇を改善すべきなのですが、すでに人材不足です。

所沢市の介護系施設数を調べたところ、現在18カ所の特別養護老人ホーム、8カ所の介護老人保健施設をはじめ97カ所以上の施設があるのですが、多くの施設で定員の2倍以上の待機者がいるという状態で、近隣の市には定員の7倍の待機者がいる施設もあるのです。

―数字を見ると、かなり厳しい状況なのだとわかりますね。

はい。「所沢日本語学校」の存在意義をご理解いただき、そこで勉強して近い将来に日本で介護に従事してくれる学生たちを、単なる労働力としてみなすのではなく、地域のみなさんにも温かく迎え入れてほしいと思っています。私たちスタッフは、日本語ができる介護人材をただ育成するだけでなく、お正月・節分・七夕などの日本的な行事を一緒に楽しみ、生活における悩みなどにも耳を傾け、その上で時間厳守など日本社会のルールや礼儀を伝えていきたいです。

留学生から学べるものも大きい

―私たちの生活は、多くの外国人労働者に支えられているという事実を忘れないようにしたいですね。それでは最後にメッセージをお願いします。

私は韓国・釜山の大学で学部・学科の開設や日本語教育のプロジェクト、東京にある大規模な日本語学校の開校や専門学校のコース開設などに関わってきました。微力ですが、これまでの経験を活かしながら地域貢献できるチャンスだと思っています。教職員も外部の研修などに積極的に参加して、さらにスキルを高めていければ良いですね。

ベトナムの留学生たちは、近年日本人が核家族化で失いつつある大切なものを、まだしっかりと受け継いでいるので、私たちが彼らから学ぶべきところも大いにあるのです。そのような気持ちで接すれば、彼らも私たちに寄り添ってくれるのではないかと思います。―本日はいろいろお話しいただき、ありがとうございました。

2021年5月、所沢日本語学校にて。

適正な医療を確実に行い、信頼される病院に

2009年から数年間は圏央所沢病院の医長として、2018年からは脳神経外科センター長として活躍している石原 秀章(いしはら・ひであき)先生にお話を伺いました。インタビューを読んでいただくと、先生の人柄が感じられると思います。

石原先生

多彩な経験を持つ脳神経外科医

―まず、石原先生はなぜ医師になろうと思ったのでしょうか?

私は群馬県伊勢崎市で伸び伸びと育ちました。開業医である親戚の叔父が祖母を往診する姿をみて、あこがれていたのが医師になるきっかけです。そして高校時代の不規則な生活により一浪したので、規律が厳しい防衛医科大学を目指して入学・卒業しました。医学生の時からカテーテル治療に興味があったので「循環器内科」か「脳外科」か迷いましたが、脳外科の雰囲気が合っていると感じたのでそちらに入局。そこで、現在至仁会副理事長の加藤先生に開頭手術を指導していただきました。

ーそうなんですね。その後はどのような経験をされてきたのでしょうか?

専門研修を終えてから、当時、埼玉医大国際医療センター・脳血管内治療科教授だった石原正一郎先生に師事し、同大学内で脳血管内治療を起ち上げるために自衛隊を退職しました。石原先生は同じ苗字なのですが、親戚ではありません(笑)。そして、2009年に圏央所沢病院で血管内治療を起ち上げるということで、2年ほど常勤医師として派遣されました。優秀なスタッフにも恵まれたおかげで、順調に症例数や成績を伸ばすことができたのです。

ー圏央所沢病院に初めて関わられたのがその時ということですね。その後、留学されたと伺いました。はい。2011年に米国のカリフォルニア大学ロサンゼルス校に1年ほど留学しました。そこでは「フローダイバーターステント治療」というものが始まった時期で、ほかにも日本では珍しい治療や手技を数多く見学できました。帰国してからは、外勤医として圏央所沢病院に週1回半日勤務していた時期もあり、群馬県の黒沢病院・脳卒中センターの開設に派遣され脳血管内治療科の部長を務めていた時期もありました。黒沢病院は実家から近いので、そこが永久就職先になるのかなと思っておりましたが、2018年より再び圏央所沢病院に縁があり、現在に至ります。

アクティブな旅行でリフレッシュ

ーなるほど。次に先生個人のことや趣味などを教えてください。

私は1974年1月8日生まれ(寅年・やぎ座)です。学生の頃は卓球部や野球部に所属していましたね。旅行先でも泳いだり山に登ったり体を動かすのが好きです。医師になってからも、たまにスキーなどに出かけます。留学でロサンゼルスにいた時にはグランド・キャニオン国立公園なども訪れ、カリフォルニアの美味しいワインなども楽しみました。脳神経外科医は仕事柄、時間を拘束されることが多いのですが、できるだけリフレッシュするようにしていますよ。

ご家族との一枚

ー心身ともに健康であることは大切ですよね。現在の職場はいかがですか?

一番良いと感じているのは「患者最優先」の理念で、目先の利益にとらわれず最善の治療ができることです。すべての病院に経済的な事情があるのは承知していますが、無駄だとわかっている治療はすべきではありません。また明るく勉強熱心なスタッフが多いと思います。患者さんが少ないときは勉強しており、患者さんが多い時は生き生きと働き、プラス思考の方が多いですね。さらに院内では回復期リハビリが盛んなので、患者さんと良い関係が築かれているように感じます。

すべては患者さんのための医療

―それは良いお話ですね。最後に、今後の目標などはありますか?

そうですね。脳卒中の発症から4時間半を超えている、またはアルテプラーゼ点滴療法などが適用できない患者さんに対して、24時間以内に行える血栓回収療法のセンターを立ち上げようとしています。それによって救える命が増えるからです。またコロナ禍で中止されている勉強会を、主治医からのプレゼンテーションを中心に行う形や資料配布型にして、スタッフの教育やコミュニケーション不足、病棟内の問題点を解決していきたいと思っています。利益相反や名声、研究のために不必要な医療が過剰になりやすい時代ですが、この病院を信頼してくれる患者さんのために、適正な医療を確実に行い愛される病院を目指していきます。

―本日はいろいろお話いただき、ありがとうございました!

2021年4月、圏央所沢病院にて。

RECRUIT

  • やりたいことがそこにある。
    なりたい自分がそこにいる。

  • 5年後の自分を、10年後の自分を想像できるか?
    今やるべきことを、しっかりと、一歩づつ。

  • 稼ぐためにではなく、
    学ぶために働く。

  • 欠点に目を背けるか、
    弱点を「強み」に変えるのか。

  • 失敗しない道を選ぶのか、
    失敗から何かを学べるか。

INSTAGRAM